茫漠たる原風景

callithump2006-06-04

先日、目の手術のために入院していて退院したばかりの父親が、今度は肝臓の異常のために緊急入院したので(酒なんて一滴も飲めやしないのによりによって.....)、二日酔いでだるい体に鞭打って、病院に見舞う。

入院先は千葉県の旭市にある総合病院。自宅を午前11時半に出たが、病院に着いたのは午後3時半。いまだに単線で1時間に1本しか電車がない総武本線とはいえ、あまりに遠い、実家に帰るときもいつも思うことだけれど、隣の県にありながら精神的には京都や札幌の方が遙かに近い。おまけにこの辺の駅はいまだに自動改札すら導入されておらず、Suicaなんて使えやしない。都心からはほぼ同距離に位置する外房線界隈(大網〜茂原辺り)の急激なベッド・タウン化をよそに、総武本線沿線の九十九里地方はすっかり発展から取り残されている。それでも豊かな自然がふんだんに残っていたりすればそれはそれで目出度しなのだが、高度経済成長期に中途半端に開発されてうっちゃられたままの荒涼たる風景が広がるばかり。数年ぶりに降り立った旭の駅前も相変わらず、生気の失せた殺伐とした風景が広がるのみ。つげ義春の『枯野の宿』の風景をさらに枯れさせたような、いたたまれないくらいに乾いて人工的な、味気も色気も活気もない景色。これがハマコーの地盤であった"金権千葉"の今の姿。

しかし、悲しきかな、これがこの地方で生まれ育った自分の心の原風景のひとつである。嫌になるくらいに今も昔と変わってない。この経済的にも精神的にも決して豊かとは思えない(地元の人たちにその自覚がどれだけあるかは疑問だが...)、文化的には"砂漠"と言っても過言ではないと思う、そして頼まれても二度と住みたくはないこの土地で、オレは生まれ育ったのだ。こんなこと言ったら「嘘〜!」とか言われて誰にも取り合ってもらえないかもしれないが、昔はそんな風土と環境と住人に馴染めない、外で友だちと遊ぶより家で本を読む方が好きな、毎日テレビにかじりついている、人見知りの激しい内向的な少年だった。人生には『美女と野獣』のラスト・シーンのような劇的な変化があるのだ。

まだ検査の結果が出ておらず、治療方針も決まらないまま絶食を課せられている親父の、退屈しのぎの話し相手を小1時間ばかりした後、再び4時間近くかかって自宅に戻ってくる。何をしたわけではないけれど、足を踏み入れるたびにいつも気持ちがちょっと消耗する、苦手な故郷。

さて今日の写真は、エントリー・ナンバー3番、通称"クロ3号"(オス)。5番目同様こいつも逆子で生まれて、出産直後は息をしていなかった。生まれて暫くすると体が冷たくなってきてしまい、母猫も初産に疲れて十分に面倒を見てやれなったので、一度は「もうダメか...」と諦めていたのだが、数時間後には奇跡的に復活。当初は自力ではオッパイもくわえられない状態で、何か障害が残るのではないか、あまり長生きはできないのではないかとか心配したが、今では他の仔同様にすっかり元気に育ってる。誰かもらって下さい。