読書日記

一昨日17日の午前3時、今月分のT誌校了。編集部近くのバーでギネスを飲みながら始発まで過ごし、帰宅して短い睡眠。昼イチから今月の理事会に出席。誰もが少しは反省したようで先月ほどの"踊れなさ"ではないが、時間が経過してくるとチラホラとお行儀の悪さで馬脚を現す者も。まだまだ油断は禁物だ。

自宅に戻って溜まった雑用を片づけ、再びの短い睡眠の後、昨日は朝6時起きで父親が入院している病院へ。先週末に再入院し、病院から家族付き添いの要請があったので、最初は母親が、その後は兄嫁が病室に泊まり込んでいたが、2人とも疲れが溜まってしまっている。こちらの仕事がようやっとひと段落したのでバトンタッチ。1泊2日で病室に泊まり込むことにする。父親の容態は先々週の入院時に比べればかなり安定してきているので、付き添いと言っても大した介護が必要なわけではなかったが、ほとんど寝たきりの状態なので、やはり目は離せない。携帯電話の電源を切り、インターネットからも隔絶された2日間。

そんな状況なので、病室での空き時間は主に読書をして過ごす。例によって脈絡がないセレクトだが、読んだのは下記の3冊。日記のネタがないので、覚え書き程度に感想を記しておく。

『土を喰ふ日々 ーわが精進十二ヶ月ー』水上勉
昨年、友人の経営する古書店で発見。ずいぶんと昔に別の友人宅にあったものを読んだことがあって、懐かしくてつい購入したが、読む暇がなくそのまま放置していたもの。9歳で入寺し、禅宗寺院の庫裡で少年時代を過ごし、16歳から18歳まで京都の等持院東福寺管長だった尾関本考老師の隠侍を務めたという著者が、自宅庭の畑で収穫される野菜を主材料に日々の食卓に供する精進料理の数々とその思い出を、1年12ヶ月に分けて綴ったエッセイ。友人宅で読んだ後に何品かを真似て作ったりした憶えがある。思えば、多忙に任せて自炊をしなくなって久しい。庭に自身の畑を耕すまではいかなくとも、日々の市場の買い物に四季の移ろいを感じ、"始末"を考えながら食材に対峙する日々との隔絶は、今年こそどうにかリカヴァーしたい懸案事項のひとつだ。ロハスとかスローライフとかいった流行り言葉への憧れは持ち合わせてはいないが、自分の目の前にあってすぐに取りかかるべき課題を放置し続けてきたことへの忸怩たる気持ちは、いささか刺激された。

リュック・フェラーリとほとんど何もない』ジャクリーヌ・コー/椎名亮輔 訳
これも昨年の11月に京都烏丸四条のshin-biで購入しておきながら、そのまま読まずに放置していたもの。2004年10月の国内ツアーに同行した後ほどなくして、フェラーリ夫妻からこの本の原書を贈られた(郵送されてきた際の封筒は多数の小額切手が一面にモザイク状に貼られた美しいメールアートで、今も本といっしょにとってある)。フランス語なのでさすがに読めずにいたが、やっと昨年になって邦訳が出版されていたので買ったのだ。まだ読了はしていないが、フェラーリ夫妻の親友で音楽学者のジャクリーヌ・コーの手で編まれたフェラーリの"ポートレート"とでも言うべきか。この作曲家の特異性・多様性と、またそれが散漫な結果を招くことがないのは確固たる思想的な整合性に基づいているからだ(とはいえ、時として他者に"いいかげん"と思われるほどにその精神は自由だが)ということを、本人の弁をふんだんに用いながら弁証している。セリー音楽やミュージック・コンクレート、ミニマリズムや偶然性の音楽等の初期においてそれぞれと強くコミットしながらも、決してその権威の築城に手を貸すことはなく、教条主義的なあり方を周到に回避しつつ、さまざまな分野で独創的な作品を作り続けたフェラーリの人物像が見事に浮き彫りにされていて、それはそのまま、前述の'04年のツアーで接したフェラーリの人物像、今となっては再会の叶わなくなってしまった彼との思い出に直結する。若い世代の音楽にも常に耳と意識を開き、ちょっと偏屈そうな表情に反して誰にも気さくで、ユーモアとエロスを好み、「ムッシュフェラーリ」と敬称付きで呼ばれることを嫌ったリュックの等身大の姿がまさにそこにある。

『逃亡日記』吾妻ひでお
病院へ向かう途中、JR千葉駅構内にある書店で購入。雑誌広告では「3部作ついに完結!」と煽られていたが、あきらかに同じ著者の『失踪日記』の便乗本ではないか?.....と思っていたら、「前口上」で作者自身がそのことをバラしていた(さすが、あじましでお!)。内容は、著者へのインタヴューを中心に据えた『失踪日記』の解説本といった感じ。『失踪日記』の内容を再度追い、少しだけ補足する程度の安易な企画。「3部作」と謳うにはどう考えても無理がある。版元の良心を疑うね。こんな本より『うつうつひでお日記』(こちらはちゃんとしたマンガ作品集らしい)を買って読めばよかった。

日も落ちてから病院を後にして東京に戻る。帰り道で見た月齢1日目の上弦の月と、その弦の垂線上に位置して輝く宵の明星が美しかった。