再会

callithump2007-02-25

横浜から直行のつもりが忘れ物をしたことに気づき、いったん帰宅してから渋谷のアップリンク・ファクトリーへ向かう。今日はスタジオ・マラパルテ主催の『フェラーリ映画祭アンコール』の2日目。どうにか上映開始時刻には間に合って、フェラーリが製作したドキュメンタリー映画『大いなるリハーサル』の3作品(メシアンシュトックハウゼン、ヴァレーズ)を鑑賞する。この上映会後、フィルムはフランスに返却されてしまうそうなので、今回がフェラーリが関わったこのシリーズを日本で観られる最後のチャンスだ。しかも、映画を観るなんてすごく久しぶり(たぶん、去年の『闇打つ心臓』以来だと思うが、その前に至ってはまったく思い出せないし...)。にもかかわらず、連日の寝不足で3本目の『ヴァレーズ礼賛』の頃には舟を漕いでしまう体たらく。もったいない。

立て続けに3本鑑賞した後の短い休憩時間にロビーに出ると、今回の上映会のために来日していたフェラーリ夫人、ブリュンヒルトにバッタリ。フェラーリの再々来日の希望を生前に叶えることができなかったし、彼の死後は多忙に任せてすっかり疎遠にしてしまっていたというこちらの後ろめたい気持ちを、最後に会った時とまったく変わらない満面の笑みと長く温かいハグで瞬時に払拭してくれる。寝呆け顔で眠い目をこすっていたところに不意をつかれたような格好だったけれど、一瞬で目が覚めた。

短い幕間の慌ただしい再会の後、ジャクリーヌ・コー監督による『リュック・フェラーリと、ほとんど何もない』を鑑賞。生前のリュック、自分が生で知っているリュックにいちばん近い姿の彼が映し出されていて、感慨深い。大友良英がコメントしていたように、彼の肉体は滅んでも、映像の中に彼の生き生きとした姿がしっかりと刻まれている。映画の中のリュックの懐かしい仕草や居ずまいに、心の中にぽっかりと空いてしまった穴を覆われるような、果たせなかった約束にまつわる忸怩たる気持ちを刺激されるような、複雑な気分で暫しスクリーンに見入る。

上映後は大里俊晴によるブリュンヒルトへのインタヴュー。高齢ながらも明晰な記憶力で、生前のリュックの活動や考えを簡潔にわかりやすく伝えてくれる。それは、彼女がリュック・フェラーリの最大の理解者であり、リュックにとってなくてはならない人であったことの何よりの証明でもある。

終映後はオペラシティに移動、井上郷子さんがフェラーリに捧げた彼女のリサイタルを聴く。映画も久しぶりだったが、ホールで現代音楽のコンサートを聴くのも久しぶり。開演ギリギリ直前の到着になってしまったが、ブリュンヒルトと一緒に先に会場に到着していたマラパルテの宮岡夫妻が席を取っておいてくれたので、ブリュンヒルトの隣でいっしょに聴かせてもらう。

伊藤祐二さん作曲の委嘱初演作品でのピアノの減衰音の長い余韻を活かしたアプローチが特に印象的な前半から休憩を挟んで、後半はフェラーリ作曲の長尺曲「Cellule 75」の日本初演。何年も前にTzadikからリリースされたクリス・ブラウンとウィリアム・ワイナントの演奏による同じ曲のCDで初めて聴いた作品だが、フェラーリはそのCDを気に入っていなかったらしい。クリスもウィリーも知り合いだし、とてもいい演奏家だけど、あの録音に限ってはいい演奏とは言い難いし、サウンド面にもかなり問題があることはやはり否めない。それに較べるまでもなく、今夜の演奏は実に素晴らしい。テープ・パートと生演奏パートのP.A.バランスに不満は残るが、それを補って余りある美しいインタープリテーションがあった。特に井上さんのピアノには正確さと同時に、フェラーリが望んだのであろう"ゆるさ"や"やわらかさ"が孕まれていて、短いシークェンスのリピートを中心にしたこの曲をふくよかな色気を帯びたものに仕上げていた。

アンコールは同じくフェラーリ作曲のピアノの為の小品。そのロマンティックさに意表をつかれる。隣ではブリュンヒルトが涙ぐんでいて、曲が終わると「あなたがここにいてくれてよかった」と言われ再びのハグ。

終演後、ブリュンヒルトにある提案をしてみる。嬉しいことに即座の快諾の返事。それが何なのかはまだ公にはできないが、果たせなかったリュックとの約束を別のカタチで叶えられるかもしれない。